nashi-kyo

 島本和彦っていうのは、絶対に他人の作品の悪口を言わない。“生き残るための戦略”としてそういうことをやってる男なんだよな。

 対談イベント中も、会話の流れが悪口めいた話題になりかけたら、「あ、今のは僕が言ったんじゃありませんからね!」とか、すかさず挟むんだよ。なぜかというと「ちゃんと断っておかないと、後でTwitterとかで俺が言ったことにされるから」らしいんだけど。

 そんな感じで、俺がなにか言った時とかも、「岡田さん、ひどーい!」とか叫ぶんだけども。イベントが終わって楽屋に入ると、「あれでOKですかねえ?」とか言うんだよ。弁当食いながら。

 もう、“プロ”だよね(笑)

gkojax
人間って、もしかしたら二人で散歩したくて結婚するんじゃないか、なんて思ったりしました。
散歩って言うのは、生活の隙間だと思うんです。恋人や愛人とするのは、どうしても場所を決めて約束して待ち合わせて出かけるもので、デートや旅行であっても、散歩ではない。生活がないから。好きな人の日常生活の隙間が欲しいというのが、つまりその人と結婚したいということではないか。
yellowblog
coromegane:

2014/9/29
きゅうにとってもカレーが食べたくなり、近所の牛丼屋でカレ牛。
おいしかったのだが、身体の方がもたず食直後から猛烈な胃もたれに襲われ、その日は帰ってからまったく使い物にならなかった。
子供の頃からこってりしたものは苦手だが、年々その傾向が強くなるなぁ。

coromegane:

2014/9/29

きゅうにとってもカレーが食べたくなり、近所の牛丼屋でカレ牛。

おいしかったのだが、身体の方がもたず食直後から猛烈な胃もたれに襲われ、その日は帰ってからまったく使い物にならなかった。

子供の頃からこってりしたものは苦手だが、年々その傾向が強くなるなぁ。

gkojax

横浜市内に300円の値段でおいしそうな定食が食べられる定食屋さんがあるそうです。そのお店のドキュメントでした。お店のメニューを見るとどんぶりものも300円。画面に映る定食は確かにおいしそう。

どうしてこんな値段なのかというと店長でシェフの土谷さんが色々な工夫をして食材を仕入れているから。

・コンビニの弁当は賞味期限の3時間前に棚から撤去するそうで、これを賞味期限までに使い切るという条件でもらってくる。

・魚市場で余った魚を分けてもらってくる。

・スーパーで余った果物をわけてもらってくる。

・コンビニの工場で作りすぎて余った食材やおにぎりの具などをもらってくる。

・表示ミスで自主回収された飲料をもらってくる。

こんなふうに材料を安く仕入れ、工夫を凝らした調理でおいしい定食にしているとのこと。

コンビニでもらってきたパンは8個買って200円。コンビニ弁当は一人一つで50円。消費期限内に食べる約束なのでその場で食べてもらうことが条件とのこと。

食べに来ている人の中には3日ぶりの食事だという人もいます。またなじみ客で近所のおじいさんには歯が悪いことをお店の人が知っているので肉を柔らかくしてから料理を出しているそうです。このおじいさん、福岡県から出てきて働いているうちに地元に身寄りがなくなってしまったそうで、死ぬ前に一度は田舎に帰りたいと言います。

このおじいさんは簡易宿泊所とお店の往復が日々の暮らしの刺激にもなっているようです。足が不自由だそうで歩行器を使って歩いておられ、お店に来ない日があったら何かあったのでは?というサインにもなるわけで、そういうギリギリのところと隣り合わせの環境でもあるんだなあと思わされました。でも地元と密着したお店ってそういうことにもなりますよね。

地元の年配の方がお客さんには多いためか、取材中にてんぷらを喉につまらせて倒れる人もいました(救急隊の手当てでその人は無事でした)。

お店で働いている人にも簡易宿泊所で暮らしている人がいるそうです。このお店はそういう状況に置かれてしまった人のサポートの場としても重要なんですね。こういうのも大切な社会起業だなあと思わされました。こういうところと行政のサポートがうまく結びついていかないといかんと思います。ただ横浜市がこういうお店を利用する人向けに配布する食券の配布基準が厳しくなったというナレーションもあり、こういうふうに弱い立場の人のところのサポートを削るのはどうなんだ中田市長、と疑問も持ちました。

ak47
慣れない仕事や勉強に取り掛かるときに、最初は質を無視して量をこなすことだけ考えた方がいいという理由は、量をこなしていれば、勝手に重要な部分に何度もぶちあたるので、重要なところから自然に身につけることが出来るから。それがわからないうちに細部にこだわると、エネルギー配分を間違う。
zbpt

一方クラッシュ・ポッセは、DJクラッシュ、MCのムロ、そしてDJゴーからなるユニット。この曲のリリックを聞くと、それが日本語で、具体的には誰を指しているのかはっきりしないが「キタネエ業界」への怒りと、ライヴが行われる夜の決して安全なことばかりではないダンスフロアという現場での筋を通すクラッシュ・ポッセの物語を聞くことができる。「Sing A Simple Song」、James Brown、Rufus Thomasといったファンクのブレイク・ビーツと同時に、Eric B. & Rakimなどこの曲の制作当時まだホットだったヒップホップ・レコードがサンプリングされているうえで、主要なビートは『ワイルド・スタイル』の「Military Scratch」であり、DJクラッシュは自分たちがどこから来たのか、どこに属しているのかということをサウンド面でも示す。
 
この前後数年間多くのラッパー、ラップ・グループが活動を開始したり、より活発にもなった。B・フレッシュ、ブッダ・ブランド、脱線3、イースト・エンド、ECD、ガスボーイズ、雷、かせきさいだぁ、キミドリ、キング・ギドラ、ランプ・アイ、ロウ・ダメージ、ランチ・タイム・スピークス、マイクロフォン・ペイジャー、ラッパ我リヤ、ライムスター、ソウル・スクリーム、ヴィブラストーン、四街道ネーチャー、ユー・ザ・ロック&DJベン・ザ・エース、ジンギ・・・。
 
それはヒップホップだったろうか?誰がよりヒップホップだったろうか?この質問は消えさることはなかった。特に94年〜95年に、前述のイースト・エンドと市井由理のスラングの語尾で判りやすく韻を踏み、若い男女の掛け合いの劇的構造が一貫する「DA.YO.NE.」がヒット、またSDPが高学歴と育ちの良さが喧伝された早熟なポップのカリスマ小沢健二と組んで「今夜はブギー・バック」をヒットさせた後、ますます重要だと考えられるようになった。後者はメロディアスなサビと、意識的にひらがなや擬音語を多用し、アメリカ黒人文化のパロディ的解釈(たとえばタイトルは、昔の黒人音楽の邦題の多くに「今夜は」がつくことを茶化したものだという)を盛り込むなど、日本の一般的な若者の感覚を取り入れ、日本と本場アメリカ(のヒップホップ)の微妙な距離感を意識し、聞き手に意識させるつくりだった。

翌年にはECDの主宰により、当時ECDが属していた大手AVEXレコード資本のCutting Edgeレーベルが予算を出し、ニューヨークから前年帰国し、その特異なリリックとサウンドでシーンの話題をさらったブッダ・ブランドをトリにキャストした「さんピンCAMP」が、そしてその1週間後にはSDPの主宰により周りのアーティストを集めた「大LBまつり」が同じ日比谷野外音楽堂で開催された。両者の違いははっきりとしており、メディアで喧伝された。「さんピンCAMP」に出演したアーティストたちの多くは、それ以前の数年間都内の幾つかのクラブで勃興したフリー・スタイル・セッションで自他ともに研鑽しての出演だった。その中心の一組は、ランプ・アイ名義で金儲け主義的な業界の姿勢に怒りをつきつけた12インチ・シングル「証言」を売り切ったアンダーグランド・オールスターズ的なメンバー、雷であった。煙草がしみ込んだコンクリートの東京のアンダーグラウンドなクラブ・シーンを背景に持つこれらのMCたちは、日本の中産階級的な価値観を英語日本語ちゃんぽんであからさまに嘲笑し挑発するリリックを持ち(ブッダ・ブランド)、ステージから見える厚生省の建物を指差して薬害エイズ事件の加害者だと非難しながら、能動的な行為として目撃することの重要性を強調した(キング・ギドラ)。

一方「大LBまつり」は、De La Soulの1枚目にも通じるSDPの回りの仲間たち(トーキョーNo.1ソウル・セットなどヒップホップ・グループと断言できないアクトも含む)の音楽と冗談をつなぎ合わせて辣腕でパッケージした総決算だった。「大LBまつり」までにマネージメント事務所とメジャー・レコード会社で安定した活動を可能にしていたSDPのリリックやライムは、80年代にゲームで育った世代に期待されるストーリー・テリングを拒否し、日本語の発音/音節で英語のラップの決まり文句と日本語によるリリックを併置して、ぱっと聞いたかぎりでは指し示すところが掴みかねるものに変化していた。イエロー・ラップ・カルチャー”の後、インストゥルメンタル・トラックがロンドンのMo’Waxから90年代始めにリリースされアブストラクト・シーンで歓迎され、当時から海外で最も知られた日本のDJとなったDJクラッシュはトラック中心のアルバムを発表していたが「皆が“王道のヒップホップ”っていうけど、『王道って何?』って意味も含めてあえて(筆者註、日本語のMCで)“王道のヒップホップ”を作ってみたい」とインタヴューに答えている。(『FRONT』誌、1998年)

2010年代半ばから当時を振りかえると、80年代から2000年までプレジデントBPM、クラッシュ・ポッセ、雷、ザ・ブルー・ハーブ、その他の出自の違うユニットに不思議なほど共通していた業界/メディア批判のリリックはもうなくなっていることに気がつく。コンピレーション『Yellow Rap Culture』にクラッシュ・ポッセと共に参加していたヨギらのイースト・エンドに、メロー・イエロー、後にリップ・スライムやキック・ザ・カン・クルーが属したファンキー・グラマー・クルーが結果的に商業的には最も成功した。リップ・スライムのメンバーは後にNIGOのテリヤキ・ボーイズに参加した。キック・ザ・カン・クルーのクレヴァは、日本で最も成功したヒップホップのソロ・アーティストの1人であり、1999年から3年連続で日本語によるフリースタイル・バトルの全国大会で優勝している。そして、ファンキー・グラマー・クルーの中心的な存在のライムスターは、繰り返しヒップホップ的な感性からアイドル崇拝から空手映画まで日本のポピュラー文化を照射し検証する、もしくはその逆の作業を作品の内外で実践してきた。メンバーの1人の宇多丸はその方法論を「B-ボーイ・イズム」と呼び、東京ロック・ステディ・クルーをステージで呼び込む同名曲のリリックには広島の廃墟が舞台のマンガのタイトル(『はだしのゲン』)まで織り込まれた。

「日本」の「ヒップホップ」をどう捉えるか。そのとき「なにが本質的にアメリカで、なにが日本なのかという議論ではない」という立場から「身の回りでこのような対立が再生産されている仕組みを見極め、それがどのように経験され、またグローバルな、そしてローカルな政治的、経済的、文化的利害と結びついているかを明るみに出していくこと。」(安田昌弘”ポピュラー音楽にみるグローバルとローカルの結節点”『ポピュラー音楽へのまなざし』、2005年、勁草社)それは、ひとつのローカルな文化と経験から、もうひとつのローカルな文化、グローバルな市場に乗せられる以前の文化へと私たちを向かわせる。更新や再解釈の余地を独特なやりかたで残した文化、そしてなによりも、都市におけるアイデンティティの再構築が力強い芸術へ変容した文化へと。